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平成21(2009)年3月のコラム一覧へ戻る

喧嘩両成敗と裁判員裁判

執筆 : 代表弁護士 大塚嘉一

今年(平成21年)5月21日から始まる裁判員制度ですが、実施に反対する人も少なくないようです。その理由の一つに、日本人は、お上に従順で、争いを好まないから、というのがあります。

本当でしょうか。


歴史を振り返ってみましょう。

室町、戦国時代の日本人は、相当キレやすい人間だったようです。人から笑われただけで相手を切り殺したりしました。大勢の人の行きかう路上は殺伐とした場だったようです (清水克行「喧嘩両成敗の誕生」)。

戦国時代には、大名など武士のみならず、領民も激しい競争にさらされ、そこでは自力救済すなわち自分の権利は自分で護ることが原則でした。日本の中世は、地方封建領主による封建制の世界であり、中央集権が成立していないからです。現代のように、裁判所も警察もありません。

紛争があった場合の処理方法として、喧嘩両成敗が有名です。これは是非を問わず、双方に罰を与えるものです。現代でも、兄弟喧嘩などのときに言い渡されることがあります。喧嘩両成敗は、復讐が行き過ぎることを制限しようとしたものととらえることができます。

実は、紛争があったときの解決方法も、次のような、さまざまな手段が行われており、喧嘩両成敗は、その紛争解決方法のひとつでした(清水克行・前掲書)。

古代には、神明裁判が行われていました。クガタチが行われていたことが日本書記に書かれています。湯に手を突っ込み、そのやけどの有無や程度で、是非を決めます。室町時代には、湯起請(ゆきしょう)と呼ばれています。

紛争の当事者には、復讐が許されていました。その中には、「親敵討」が、また「女敵討(めがたきうち)」がありました。親の敵(かたき)は分かりますが、女敵(めがたき)とは、妻敵とも書き、不貞の相手つまり間男のことです。

自力救済をするだけの力のない者には、自殺するという復讐の方法もありました。遺恨を書き記して死ねば、敵に罰を与えるというものです。自分は死んでしまうのですから本当に驚くべき方法です。しかし、現代においても、イジメを受けた子供が遺書を残して自殺する事件がおきます。子供だけではなく、政治家が潔白を訴えて自殺する事件もおこります。中世日本人の心性は失われていないということでしょう。

「中人制(ちゅうにんせい)」とは、第三者が仲裁する組織です。

「解死人制(げしにんせい)」とは、加害者側から被害者側に「解死人(げしにん)(下死人、下手人)」と呼ばれる人間を差し出すことで、紛争を解決する慣行です。解死人は、必ずしも犯人本人でなくともかまいませんでした。

土地争いで、湯起請で決着がつかないときは、土地を折半しました。これを「折中の法」と言いました。喧嘩両成敗は、折中の法に由来する制度でした。

いずれの解決方法も、人が殺され、領地が奪われたときに、それに相当する対価があるはずだという人の強烈な意識が生み出した制度であったはずです。さまざまな解決方法の中で喧嘩両成敗が最も、人々の意識に応え、生き残ったのです。


その後、戦国大名は、喧嘩両成敗を成文化し、付則をつけました。付則は、暴力に訴えず、後に公の沙汰を待った者には、罰が加えられない、という内容です。喧嘩両成敗を、復讐のやりとり、自力救済から脱して、法による支配へと誘導しようとしたもの、と見ることができます。法の支配の前段階の仕組みです。

やがて戦国時代も終わり、江戸時代になると、訴訟で決着がつけられるようになり、江戸幕府は、喧嘩両成敗を認めませんでした。赤穂浪士の四十七士には、切腹と言う死刑が言い渡されました。不十分ながらも、法の支配の原則がここに確立したことを確認することができます。


そして、やがて、明治維新により近代的な裁判制度が導入されます。江戸時代の、争いは訴訟でという土台があったからこそ、近代的な法の支配に移行できたのです。それ以前の中世の、自力救済に懸命に努力した、大名、武士、領民らの懸命な努力は、その後の日本の文化遺産となって、生きています。それらは、明治維新を成功させる下慣らしとなったのです。

現代の裁判の背後には、中世の日本人の復讐心を克服する葛藤が込められているのです。

裁判員制度では、我々一人ひとりが自らを統治する、という民主主義の理想が制度化されています。

決して従順であったばかりではなかった我々のご先祖の苦労を偲びながら、我々は自分の権利としてこの裁判員裁判を成功させることができるはずです。

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