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平成21(2009)年7月のコラム一覧へ戻る

紛争と協調−弁護士の仕事は後ろ向きか?

執筆 : 代表弁護士 大塚嘉一

1.20年以上昔のことです。弁護士に成り立ての私は、弁護士の仕事は、所詮人の不始末の後始末、尻拭いじゃないか、と自嘲していた時期がありました。

尻拭いなら、日本一の尻拭いになってやろうじゃないか、と頑張っていた時代もありました。

その後、弁護士の仕事には、もっと積極的な意味があると思いはじめました。今、その思いは、私の確信となっています。

2.17世紀、内戦に明け暮れる母国イギリスを憂いるトマス・ホッブスは、その著「リヴァイアサン」(1651年)において、利己的に行動する個々人の集団が秩序を形成するためには、全員を威圧する共通の権力である国家が必要であると主張しました。「リヴァイアサン」というのは、聖書に出てくる怪物です。彼は、国家を怪物に見立てたのです。個々人が、その力を超越した存在「リヴァイアサン」を作り上げることで、その存在のもとではみな平等となり、秩序がもたらされるというのです。

ホッブスは、国家成立前の「自然状態」を想定し、そこに「万人の万人に対する闘争」を見ました。「人間の生活は、孤独で貧しく、つらく残忍で短い」。彼の有名な言葉です。

ホッブスは、人間同士の紛争の原因についても、述べています。人間の争いの原因は、次の三つの人間の本性にある、というのです。第一に競争、第二に不信、第三に名誉です。

第一の競争では、有限な資源をめぐる相手との争いが問題とされています。

第二の不信は、相手がこちらの生命、身体を害しようとしているとの疑念のせいで、こちらから先に相手に対する攻撃をせざるをえないと考えるようになるというのです。

第三の名誉は、勇敢であるとの名声が確立すれば、個人に利益をもたらすので、それを示すために暴力が振るわれるというものです。


一方、アダム・スミスは、人と人結びつける原理として、共感(シンパシー)があると指摘しました(道徳感情論)。

人は誰でも、人の痛みを感じて、自分も痛みを感じることがあります。

人と人との共感を前提に、分業をし、生産された物を交換することによって、特に相手の利益を考えたのでないにもかかわらず、社会が豊かになるのです。これを彼は、「見えざる手」と呼んだのでした。

共感の輪は、家族、地域社会、会社、国家と拡大します。

共感と信頼関係が、人と人とを結びつけます。

人間の歴史は、人と人との共感の輪、信頼関係を拡大する歴史です。

最初の人類は、家族やそのいくつかの集まりから始まり、やがて地縁血縁による部族を形成し、祭祀共同体、やがて国家を作り出します。

その間、個人同士の衝突、部族間の紛争、国家による戦争がありました。

相手の反撃がない場合には、他方の壊滅ということもありました。勢力が拮抗している場合には、平和的な共存が模索されます。

人類は、紛争と協調を繰り返してきたのです。

3.紛争、闘争を「悪」と捉えれば、醜いという見方もあるでしょう。

しかし闘争、競争があるからこそある美しさ、というものがあるのではないでしょうか。

闘争は、自己を賭した戦いです。闘争、競争は、新しい秩序を形成します。

このことは、紛争、競争がない社会というものを想像してみれば分かることです。闘争、競争がない社会とは、同じような営みがずっと続くということです。そこには、人生を彩る変化も、進歩もないことになります。


興福寺の阿修羅像の美しさは際立っています。阿修羅は、戦いの神です。伝説では、阿修羅は巨大な神に挑み、負けを喫し、新たな神として再生しました。阿修羅像の凛とした美は、荒々しい暴力のあとに訪れる秩序を予告しているのではないでしょうか。


国家と国家の争いである戦争について、かつては、いかに敵を倒すか、殲滅するか、という観点からのみ論じられてきました。現在では、戦争の終わったあとに、いかに共存していくかが議論の中心となって論じられています。

国家内部においても、かつては女性、子供、外国人は市民の範疇から除外され排除されていましたが、徐々に市民の一員として位置づけられるようになりました。犯罪者の処遇についても、応報刑から教育刑が主張されるようになり、現在では、犯罪者をどう社会復帰させるかが議論の中心となっています。


最近の進化生物学では、適切な制裁(サンクション)があるときには、集団の構成員の間で、協調行動が発達しうることが示されています。

暴力、紛争のあとに、協調と赦しがあるとき、そこに新しい秩序が立ち現れます。


「争いは万物の父である」。
ヘラクレイテスの言葉は、そのことを訴えているのではないでしょうか。

4.私は、弁護士として、目の前の紛争について適切な解決を求めて、日々、奮闘し、業務の処理に追われています。ぎりぎりまで依頼者の権利を最大限確保し、しかも社会との調和を失わない、そんな着地点を求めて。そして最後に、人知れず、至上の存在に祈りを捧げます。この解決が、紛争を終焉させますように、願わくは、新たな共生の場を切り拓くことになりますように、と。

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