2025.06.19

大塚 嘉一

50年ぶりの現代数学入門

弁護士 大塚嘉一(おおつかよしかず)

1.息子が、この春、大学一年生となった。理系の学部である。張り切って数学の勉強を始めたようだ。集合論の入門書を手にしている。

たくましく成長した息子の姿に目を細めながら、その本を借りて手にして眺めているうちに、私の中で、むくむくと現代数学に対する挑戦心が沸き立ってきた。挫折の記憶をともなって。

2.私は、もともと理系の人間であった。小中学校のころは、算数と理科が好きで、ラジオを組み立てたり、アンプやスピーカーボックスを自作したりしていた。

高校に進んでも同じで、数学と物理が好きで成績もよかった。漠然とエンジニアか医者にでもなるのかな、と思っていた。しかし、受けた大学は、どれも法学部。高校の三年間で、何があったのか、よく思い出せない。17,8歳の多感なころのことなので、何が原因なのか、よくわからない。友達の何気ない一言に影響を受けたのか、どうすれば女の子にもてると自分なりに考えた末の結論なのか。

とまれ、1975年(昭和50年)の春、大学に進み、法学部での勉強を始めた。法律の勉強には全く興味が持てなかった。争点と言って、学説や判例の別れる点があり、大体、積極説、消極説そして折衷説と分かれるのが常である。問題は、その理由付け、根拠である。「…が公平である。」とか、「…が正義に適する。」とか述べて結論の正当性を主張するのだが、これがいけない。公平って、立場や人によって違うのではないか、正義って、一つなのとか、疑問が晴れない。面白くなくて、当時、数学を盛んに用い始めていた経済学の勉強を始めた。どうせなら、と、現代数学の勉強を開始した。

集合論と公理系を前提とする現代数学は、高校までの数学とは違う。厳密性が求められる。解析の「ε-δ論法」を勉強してみると、高校までの数学は、気分でやっていたなあと思ったものだ。

しかし、挫折した。独学で、現代数学をマスターすることは無理であった。

そして、司法試験に方向を変え、今、弁護士をやっている。社会の仕組みを考え、利害調整をする仕事は、それはそれで楽しいものであった。

現代数学はあきらめたが、受験数学はその後も、楽しんだ。毎年、その年の出題を、今年は難しかっただの、いい問題だの、「鑑賞」するのだ。東大の問題がよく考えられている。それをテーマにした本も何冊かある。

3.一般の人は、数学とは、1足す1は2だとか、決まりきったことを、昔から変わらずやっている退屈なもの、という印象をもっているかも知れない。

違うのである。あらゆることに疑いの目を向け、批判的に検討し、論争するのである。その点で、哲学に似ている。異なるのは、数に関連する分野に自己規制している点である。そして、今、数学は爆発的に発展している。世界中の最優秀の頭脳が、死力を尽くしての競争に参画している。日本人も、数学のノーベル賞とも言われるフィールズ賞に、既に三人受賞している。今年、同様に権威のあるアーベル賞の受賞者も出た。

真理を求める数学の世界では、法律学のように、学説が対立するということは滅多にない。その滅多にないことが、現在、起こっている。ある日本人数学者が、宇宙際タイヒミューラー理論というものを言い出し、複数の日本の数学者がこれを正しいと認めたのだが、大方の他の世界の数学者が否定的なのである。

私の夢は、自分の頭で、その理論の是非を判断する、と言うことだ。

4.私の夢は、見果てぬ夢として、終わってしまうのかもしれない。それでも構わない。好きなことを好きなようにやるだけだ。この歳になっては、世間に一角の人物と認められたいとか、異性の歓心を買うとか(これは今でも少しある)、そのようなことは、二の次、三の次だ。

しかし、今回の現代数学への再挑戦の旅は、楽しみだ。なにしろ、力強い「相棒」がいてくれるのだから。