2013.08.06

大塚 嘉一

イリアスと平家物語あるいはニーチェと織田信長

1.織田信長とニーチェは、似ています。

ともに、時代の精神に反抗し、新たな価値観を築くために闘ったこと。

そのために、それぞれの古典から滋養を得ていたに違いありません。

2.ニーチェの場合は、ギリシャ古典の文献の研究者として出発したというだけあって、彼の思想の基となった一点だけ、を挙げることは不可能です。しかし、多数の重要な作品の中に、「イリアス」は必ずあるはずです。ニーチェに限らず、訪米の知識人の糧となる最も基本的な文献です。

一般向けの本では、美女ヘレネをめぐるトロイ戦争の話として、知られています。トロイ戦争の原因として、全能の神ゼウスが、地上に増えすぎた人間を減らそうと考えたから、と書かれています。しかし、このゼウスの件は、ホメロスの「イリアス」の中にはありません。別の作品「キュプリア」の中にさり気なく、置かれているのです。まるで、本当に重要なことは、隠さなければならないかのように。

戦争の原因だけではなく、数々の勝敗にも、神々は介入してきます。

人間は、操り人形に過ぎないのでしょうか。そう考えれば、ニヒリズムに陥ります。

しかし、それでも、「イリアス」の中の人間は、闘います。力の限り闘います。

そして戦闘の場で怒りに支配されていた人物が、やがて人間であることを自覚する場面、ヘクトールの葬儀の場面が、一番の見どころです。

ニーチェも、同じことを思ったに違いありません。

3.「平家物語」も、時代を大分下り、場所も違いますが、争いをテーマにした作品です。当初は、書かれていたのではなく、謡われていたであろう点も、イリアスと同じです。

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、と続く一節は、日本人なら誰でも暗唱させられたはずです。無常観がテーマになっているかのようです。

特に、敦盛の下りです。亡くした自分の子と同じような年の敵方の敦盛を殺さなければならなかった熊谷二郎直実は、後に出家してしまいます。

しかし、織田信長は、ここ一番の大勝負、桶狭間の合戦の前に、「敦盛」を舞って、出陣したそうです。

彼は、この世の無常を認識しながら、それでもあきらめることなく、戦場に赴いたのです。

4.織田信長のファンは大勢います。

もう少し長く生きてくれたら、と想像力を膨らませる人物は、歴史上、他にそういません。

弁護士の中にも、信長好きが少なくありません。中には、織田信長になりきっているかのような人もいます。

信長は、自分の思想を文章として残すことなく、死んでしまいました。

5.ニーチェは、その時代の宗教や価値観を徹底的に批判しながら、ニヒリズムに埋没することなく、権力への意志をテーマに、生きる情熱に価値を見出しました。

ニーチェのニヒリズムと、実存主義の萌芽ともなった力への意志の主張と、この一見すると矛盾とも見える姿勢を、どのように解釈すればよいのか。学者カール・レーヴィットが、ニーチェの思想の最大の問題とする点です。

レーヴィット自身の解釈は、ニーチェの永遠回帰の思想に、その鍵を求めようとします。

しかし、現在なら、もっと明確に、ニーチェの思想を描くことができそうです。レーヴィット以降のニーチェ研究が明らかにしたことは、ニーチェは、ダーウィンの進化論について、相当程度の知識を得ていたであろうということです。

そして、現代の進化論自体も、単純な弱肉強食を主張するものではなく、グループ間での争いが、次の秩序を形成する要因となることを、明らかにしようとしています。

ニーチェは、進化論の行く末を視ていたのではないでしょうか。天才の直観をもって。

彼のニヒリズムと実存主義とは、彼の美しい一遍「星の友情」に、矛盾なく結実しました。たとえ、今は敵同士であっても、お互いに尊敬し合える、そして正々堂々と争うことができるのだ、と。

私は、そう信じています。

天上の織田信長も、そうだ、そのとおりだと言っています、よ。