2021.08.18

大塚 嘉一

刑事弁護士高野隆の「人質司法」を読む―コロナ禍における行政無謬論などについて

1.コロナ禍での問題

コロナ禍で、ワクチンの接種がなかなか進まない。コロナ専用病院を、行政がその責任でつくるべきだと考えるが、なかなか進まない。厚生労働省が、先頭に立つべき状況だと思うが、同省の動きが鈍い。何故か。その原因が、手塚洋輔著「戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷」(2010)に描かれている。

手塚は、予防接種行政で優等生であった日本が、その後先進諸外国の後塵を拝することになり、現在に至る経緯を説得的に論ずる。薬害エイズ事件で、国のみならず官僚個人が刑事事件で有罪となったため、それ以降、国はするべきことをしない誤りに陥っていると主張する。

政府が責任の範囲を自分で狭くし、過誤をなすことを避けてきたのだ。同書中には、行政無謬の言葉こそ使われていないが、内容はそれだ。確かに、制限された範囲内では、間違っていないのだ。

2.行政無謬説(論)

行政無謬説(論)とは、行政のやることに間違いはなく、その結果について責任を問われないとの主張だ。

似たような説に、古くは聖書無謬説があった。聖書にかかれていることには間違いがない、という主張だ。周知のように、これには多くの議論の積み重ねがある。

3.ハンナ・アーレント「全体主義の起源」

何故、行政無謬説のような事態が生じるのか。ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」にヒントがある。全体主義は、独裁主義に似るが、民衆の支持がある点でそれとは異なる。

大衆が指導者に万能を求める。誤謬を許さない。それが全体主義に通じるというのだ。行政無謬論にも同じことがいえるのではないか。

4.刑事司法における行政無謬

刑事司法においても、行政無謬論とも言うべき現象がある。

最近の例では、検察庁が、裁判員裁判になることを避け、重罪での起訴をしぼっている、との指摘がある。最近はそうでもないが、裁判官の無罪忌避症がある。昔は、無罪判決を出す裁判官は、それだけで変わった人という評価をされていた。それが、日本における有罪率99%以上の意味である。

5.無謬論を正す方法

行政無謬論を正すにはどうすればよいか。それは、人は間違うということを改めて確認することだ。加えて、皆で議論することの必要性、重要性を再確認することだ。民主主義を確認することだ。

6.刑事弁護士高野隆の「人質司法」

同書を読み進めると、末尾に、被疑者被告人の長期勾留を是とする「日本の検察や裁判所には一種の『無謬性神話』があるのではないか」との言葉があった。それは私が今まで考えてきたことと、脳内で接触し、次々にスパークしていった。それらをスケッチしてみた。機会があれば詳述したい。