2026.08.23

大塚 嘉一

小砂川チト「ゾンビ回収婦」を読む

弁護士 大塚嘉一(おおつかよしかず)

1.本作品は、この世に生を受けるという一方的贈与を「回収する」仕方を、ゲームやAIという現代的アイテムに関連づけた文明批評だと、私は読んだ。

出生と言う贈与とは、人が生まれてくるにあたって、当の本人が努力したわけでも、誰かに頼んだわけでもない、ということである。「回収」とは、生まれてきた人間が、その贈与を誰にどのように「返済」していくか、ということである。小学生が、親に感謝しなさいと教えられ、中学生が、社会に貢献できるよう努力しなさい、と指導を受け、高校生が、生んでくれと頼んだわけじゃあねえ、と悪態をつき、大学生が、自分探しの旅に出る、そのような事態の背景事情である。

2.本作品は言わずと知れた第175回芥川賞受賞作品である。プロの小説読みからも評価されている。

まずはその圧倒的スピード感。ゲームに疎い者には理解が難しい用語は推測で補ってカッコに入れて読み進むと、ぐいぐい走るよう。状況設定の意外さ、複雑なこと。理由の分からない目まぐるしい展開。落ちが秀逸。ところどころチェンバロのゴルドベルグ変奏曲のように、年寄りにも優しい部分がちりばめられている。

真面目な小説読みではない私にも、楽しめた。同時に、現代文明に対する皮肉が効いた傑作であることが分かった。小説の価値は、どれだけ読み手の想像力を刺激するか、だとすると、最大限の賛辞に値する。

私がこの数十年の間、読んだ古今東西の本や考えたこと(概念)、ものの見方、プロパガンダ(?)などなどが、洗濯機の中のように、整理されないまま、私の脳に渦を巻いた。

3.まずは、アルベルト・カミュの「シジフォスの神話(シーシュポスの神話)」である。賽の河原の石積みと同様に、際限のない作業を課される人間がいる。神の怒りを買った主人公が、巨石を頂上まで運び上げ、それが完了すると、巨石は坂の下に転がり落ち、またそれを運び上げることの繰り返し。主人公は、石を持ち上げるという決断をし、カミュはそれを称賛するのであるが、本作品の著者にはその優しさはない。

次にハイデッガーの「存在と時間」。人間とは、親、時代、環境とすでにある現実の中で、自分の可能性を選び取って生きていく「投企」する存在。

ニーチェの超人思想。自分の境遇に運命愛を見出し、生き抜く精神。

アニミズムの中の個人主義。自然に埋没するのではなく、自分を際立たせる思想が日本のそれの特色か。

リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」を超えた、集団遺伝学。文化の進化論。表現型可塑性(phenotypic plasticity)。人間が、利己的遺伝子の乗り物にすぎないとしたら、我々はゾンビなのか?

自由な意思決定の根拠は?

等価交換は、経済学など限られた部分のことであって、倫理、宗教などは、それを超越する。

不条理は、あらゆる宗教の源泉である。

人は生まれてきた以上、幸せになる権利があり、それを妨げるものがあれば、これと戦ってでも手に入れる価値が人生にはある。

三十数億年前の地球上で最初の生命が誕生。その後の生命の爆発的発展。地上の全ての生命は、同一の始祖をもち、生命を維持するために、互いに時に争い、時に協調する、との世界観。

最近の知見によれば、生物と非生物との境界さえも曖昧である。

などなど、が立ち並び、現れては消え、現れては消えする。

4.本作品は、小説好きだけに独占させてはもったいない。多くの日本人に読んでもらい、考えてもらいたい。日本人だけではなく、世界中に拡散したい。翻訳に人を得て英文で発表したら、村上春樹を超えるヒットとなるだろう。ゲームや、AIの問題に直面しているのは、日本人だけではないのだから。