2006.12.30

大塚 嘉一

弁護士丸山正次先生と『離』

1.丸山正次先生は、平成11年に、お亡くなりになりました。享年97歳。菊地先生が、当事務所の開設前に勤務弁護士をしていたのが、丸山先生の事務所でした。私は、いわば丸山先生の孫弟子となるわけです。

先生は、岩槻の名家の生まれで、一族からは医者を輩出しています。法曹となった先生は、親族中では異色の存在だったようです。もっとも最近では、お身内に、全国的に有名なダンサーがいらっしゃいます。

旧制粕壁中学校(現春日部高校)、二高、東大法学部を経て、判事になりました。在職中、日本で初めて、医療過誤の判例を研究し、「医師の診療過誤について」として本にまとめました。その後、判事を辞め、弁護士に転じてからは、医師会の顧問として活躍しました。菊地先生も、医事法学会に所属し、医師会の顧問をしておりました。当事務所に、関係書籍が残されています。

ちなみに丸山先生は、粕壁中学では柔道をしていました。私にとって柔道部の先輩でもあります。今でも春日部高校の柔道場には、中学の部に丸山先生の、下って高校の部に私の、名札が掛かっています。

2.丸山先生が、お元気なころ、埼玉弁護士会の若手の弁護士が集まって、先生から昔の話などを伺う会合を持ちました。録音し私家本にしました。その会合では、先生が実際に関与なさった戦前の陪審制の様子など、有意義なお話をお聞きすることができました。余談ですが、戦後、闇米を拒否して亡くなった山口判事が、丸山家を訪れたおり、米のご飯を食べていた、という興味深いお話もありました。

その中で、先生は、弁護士の心構えとして、「離」ということをおっしゃいました。弁護士は、依頼者から距離を置かなければならない、というのです。後になって、禅の世界でも、「離」と言うことを知りました。

私は、その後「離」について考え続け、今では次のように考えています。「離」というからには、いったんは、依頼者と一身同体になってみる必要がある。依頼者は、一生に一度あるかないかの問題を抱えて訪れている。当事者以上に当事者になりきってみる。そうして初めて、依頼者の気持ちが理解できる。しかし、そのあとは、依頼者を客観視する必要がある。依頼者にべったりではいけない。これが「離」である。そして、法律構成を考える。依頼者だけではなく、誰にも当てはまる普遍的な主張となっているか。相手と立場を代えたとしても通用する理屈となっているか。そう検証することで、強靭な論理を構築することができる。当事者には見えていなかったことも見えてくる。こうして、情と論理とを兼ね備えた主張を展開することができる、と。

3.私は、丸山先生から、弁護士としての生涯の宝をいただいた、と思っています。