2009.08.23

大塚 嘉一

泉徳治元最高裁判事と聖徳太子の十七条憲法

1.今朝、新聞を読んでいると、泉徳治元最高裁判事のお顔が飛び込んできました(朝日新聞平成21年8月22日付け朝刊「オピニオン 異議あり」)。

泉元最高裁判事は、海外に住む日本人の選挙権が与えられていないことを違憲とした最高裁判決(平成17年)、外国人の母親から生まれた子が日本人の父親から認知されていても両親が結婚していない場合に日本国籍を与えない国籍法を違憲とした最高裁判決(平成20年)に関与しました。平成15年と16年には、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定をめぐる問題、平成19年には衆議院議員定数配分(格差最大2・17倍)に関する問題で、それぞれ合憲とする最高裁判決がありましたが、同元判事は、多数意見に反して違憲の反対意見を書きました。

団藤重光元最高裁判事のように、最高裁長官に成る目がなくなったからやけになって反対意見を書くようになった、というのではありません。

泉元最高裁判事が、以前に、当事務所近くのさいたま地裁(旧浦和地裁)の所長でいらしたこともあって、私は、一方的に親近感を感じておりました。

その元判事が、最高裁判事は、それぞれの経験を踏まえた意見を国民に広く伝えることが期待されていると、強く訴えていらっしゃいます。全くもって同感です。

さて、その新聞記事中に、同元判事の言葉として、批判的な口調で、「日本に『和をもって貴しとなす』という言葉があるように、裁判官の間では伝統的に、自分の個性を出さないで判断するのがよいと考えられてきました。」とあります。これは、ちょっと誤解を招くのではないでしょうか。「異議あり」です。

2.確かに、世間では、「和をもって貴しとなす」とする言葉が流布し、みんな仲良く、我を張らないでやろう、といった意味合いで使われることが多いようです。そしてそれは聖徳太子の十七条憲法に由来すると考えられています。

しかし、聖徳太子の言葉とされる出典に実際に当たってみると、それとはだいぶ違うことが書かれています。

日本書紀には、「一(ひとつ)に曰(い)はく、和(やわらか)なるを以って貴(たふと)しとし、忤(さか)ふること無(な)きを宗(むね)とせよ。人(ひと)皆(みな)党(たむら)あり。亦(また)達(さと)る者(ひと)少(すくな)し。(中略)然(しか)れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事(こと)を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事理(こと)自(おの)づからに通(かよ)ふ。何事(なにごと)か成(な)らざらむ。」となっています(岩波日本古典文学大系新装版日本書紀下180頁)。

念のため、仏教学者の中村元の現代語訳をご紹介します。「第一条 おたがいの心がやわらいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならない。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。(中略)しかしながら、人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごともなしとげられないことはない。」(春秋社「聖徳太子」183頁)。

単に、従順でいろ、と言っているのではなく、むしろ、上下にこだわらずに大いに議論することを勧めているのです。

その理由に「人(ひと)皆(みな)党(たむら)あり。」というのが、また素晴らしい。人には、それぞれ党派心、突き詰めれば利己心があるというのです。しかも、それは偉い人もそうでない人も問わずに、人間というものは例外なくそうなのだ、と言い切っているのであって、非常に透徹した洞察力というべきです。そのうえで、議論することの重要性を説いているのです。

これを受けて、さらに17条では、次のように言っています。また中村先生の現代語訳で。「第一七条 重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人々とともに議論すべきである。小さなことがらは大したことはないから、必ずしも多くの人びとに相談する要はない。ただ重大なことがらを議論するにあたっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。」(同上190頁)。

3.十七条憲法は聖徳太子の筆になるものではない、という説があります。さらには、聖徳太子は実在の人物ではないという説もあります。

いずれにしても、隋や、その後の唐という近隣の大帝国に対する警戒心、もっと言えば恐怖心、自国を強固なものにしなければ、との当時の人びとの強迫観念にも似た精神の産物であることには間違いがないはずです。

こうして完成された律令制は、その後の日本を大きく規定することになりました。基本的に武力とは別に権威としての天皇が存在するその構造は、現在もなお維持されています。先の大戦の際には、終戦後しばらく昭和天皇から外国人が征夷大将軍に任命されたこともありました。その名前は、ええと、ああ、マッカーサー将軍と呼ばれていました。

4.泉徳治元最高裁判事は、「和」を、通常用いられている用法でおっしゃったものとお見受けします。しかし、個人の発言を強く期待するその御身には、個人の個性を極限まで認めながら、なお共同体のために議論を通じての個々人の協調を訴えた聖徳太子の精神が具現化している、と言うべきでありましょう。