2010.02.23

大塚 嘉一

Twitterと弁護士と

1.Twitter 始めました。

当事務所では、ワープロ機、パソコン、社内LAN、インターネットの導入やウェッブページの開設など、他の法律事務所に先駆けて手掛け実現してきたものも少なくなく、新し物好きを自負してきてもおりました。

その割には、遅まきながら、今般、ツイッターを始めてみました。

アメリカのオバマ大統領が、大統領に選ばれるに当たってツイッターが強力な武器になったという話は聞いていました。これからはツイッターですよ、という友人、知人の声もありました。が、当時、弁護士の業務にどのように関わってくるのか、よく分かりませんでした。つぶやき、というのは、あまりに個人的にすぎるのではないか、との不安、心配もありました。

しかし、とにかくやってみることにしました。

2.弁護士は、依頼者の言い分をよく聞き、法的にその主張が通るものなのか、それを実現するためには何が必要なのか、交渉で可能か、訴訟が必要か、などなどを判断することが使命であり、腕の見せどころとなります。

その際、法に基づいての解決を目指す、というところがミソです。

そして、法は、何人に対しても平等に適用される普遍的、抽象的な存在であることが要請されます。

そこで、弁護士は、法の適用の平等を前提としながら、依頼者の利益を最大限に実現し、あるいはこれを防御することが、その仕事となるわけです。

普遍的な法の解釈という論理的な能力と、依頼者の個別事情という特殊な条件を考慮するという技能とが必要となるのです。一見すると矛盾する普遍と個別とを、融合させることが、その任務です。

3.ソフィストと聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか。辞書を引くと、詭弁家などと出てきます。あまり良いイメージではありません。

歴史的には、古代ギリシャにおいて、客からお金を取って、議会や法廷での弁論の仕方を教えた人々を指します。

その意味では、我々弁護士のご先祖と言えないこともない。

最近、ソフィストの本が出ており、興味深く読みました(納富伸留「ソフィストとは誰か?」人文書院2006)。同書には、弁護士の駆使するレトリックの危険性が指摘されています。普遍的な正義を忘れ、相対的正義に逃げているのではないか、と。

しかし、マックス・ウェーバーは、「職業としての政治」中で、政治家に向く職業として、弁護士を挙げ、その理由として、事件を利害関係者に有利なように処理することこそ、まさにベテラン弁護士の腕である。…弁護士は不利な事件を有利に処理し、有利な事件を間違いなく有利に処理する。…今日の政治は、言葉を用いて行なわれるが、この言葉の効果を計算することこそが、弁護士の本来の仕事の一部である、と述べています。

田中美知太郎も、真実を知っているというだけで相手を説得できるというわけではなく、言論(ロゴス)を扱う技術として、人の真理や説得の形式を研究して、政治その他において正しい説得を準備するものとしての弁論術は必要である、と指摘しています(「ソフィスト」講談社学術文庫・昭和51)。

4.大事なことは、普遍的、絶対的なものを忘れずにいることだと思います。これからも、常に普遍的な法を求めながら、個別の依頼者を救済する技術に磨きをかけて行きたいと思います。

それと、Twitterがどう関係するのか。関係ないのか。それとも自分次第なのか。

もはや国家や会社に自己のアイデンティティーを求めることが唯一の確実な方法ではなくなった現在、個人が自律して生きることが、以前にも増して要求されています。個人個人のつぶやきを聞き、また自分でもつぶやいてみて、模索してみたいと思います。

楽しみがまた一つ増えました。