2014.01.30

大塚 嘉一

死刑制度に関するアンケート実施のお知らせ

平成26年(2014年)1月30日

埼玉弁護士会会員各位

死刑廃止検討プロジェクト・チーム
座長 大塚嘉一

死刑制度に関するアンケート実施のお知らせ

 埼玉弁護士会死刑廃止検討プロジェクト・チームは、日弁連の要請を受けて、昨年6月に、設置されました。メンバーは、会内各委員会の推薦及び自薦により構成されています。

これまで、死刑制度の存廃に関する議論、内閣府等が実施した死刑に関するアンケートの分析・検討、死刑制度について意見を表明している大学教授に対するインタビューなどの活動を精力的に行ってきました。

そして、今般、埼玉弁護士会会員を対象とする死刑制度に関するアンケートを企画しました。今年3月頃に実施する予定ですので、その際は、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。アンケートの結果は、集約し検討のうえ、報告する予定でおります。

それに先立ち、皆さま方に、これまでの議論等を織り込んだ、死刑廃止論及び存置論の両論を併記した情報を、アンケート実施までに2回ほど、お届けすることとします。今回は、その第1回目として、別紙の「死刑に関する情報提供(1)」をお送りします。2回目は、2月ころに予定しています。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

(別紙)

死刑に関する情報提供(その1)

1 日本弁護士連合会の考え方(死刑廃止論)

(1)死刑のない社会が望ましいわけ~私たちの社会のあり方~

死刑は,かけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であることに加え,罪を犯した人の更生と社会復帰の観点から見たとき,その可能性を完全に奪うという問題点を内包しています。

私たちが目指すべき社会は,すべての人々が尊厳をもって共生できる社会ではないでしょうか。そこでは,罪を犯した人も最終的には社会が受け入れる可能性を完全に排除してはならず,かつ犯罪被害者の社会的・精神的・経済的支援を充実化させなければなりません。ヨーロッパ諸国は,犯罪被害者を手厚く支援し,かつ死刑を廃止しています。

すべての人々が尊厳をもって共生できる社会にとって,被害者の支援と死刑のない社会への取組はいずれも実現しなければならない重要な課題なのです。


(2)死刑は取り返しのつかない刑罰です

裁判は常に誤判の危険をはらんでおり,死刑判決が誤判であった場合にこれが執行されてしまうと取り返しがつきません。

とくに日本では,死刑事件について既に4件もの再審無罪判決が確定しています(免田・財田川・松山・島田事件)。また,死刑事件ではないものの,近時においても,足利・布川・東電OL殺人事件について再審無罪判決が言い渡されています。

死刑事件である名張毒ぶどう酒事件や袴田事件は,えん罪である疑いが強く,日弁連はその再審を支援しています。また,既に死刑の執行された飯塚事件は,足利事件と同様に精度の低いDNA型鑑定などに基づき死刑が言い渡された事件であり,現在,遺族が再審を請求しています。

このように,誤判による死刑執行の危険性は現実的なものであり,死刑制度を維持し執行を継続する限り,常にその危険性があります。

2 死刑存置論

(1)死刑のない社会が望ましいが~現実を直視するとなお死刑は必要~

現代日本における死刑は、その廃止を主張せざるをえないほどに、刑の均衡を失してはいません。我々は、まず被害者の悲惨に目を向けるべきです。物言わぬ者に対してこそ、想像力を働かせるべきです。その残虐性などから、死刑はやむをえないという事件は必ずあります。そのような事実のために死刑はある。「空から小鳥が堕ちてくる 誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために 野はある」(田村隆一「幻を見る人」)。尊厳ある社会は、死刑の廃止ではなく、死刑に相当する犯罪の根絶によって実現されるべきです。死刑を廃止したヨーロッパ諸国においても、なお復活を求める声は続いています。

マリノフスキーらの互酬制の研究を嚆矢とするゲーム理論や進化生物学等による最新の知見は、現代においてもなお応報的正義(retributive justice)が、我々の社会の構成原理であることを示しています。


(2)冤罪を防ぐのは我々法曹の責務

死刑の存廃論においては、本質的には、犯罪が明らかである場合、それでも死刑にしてはならないか、が問われるべきです。しかし冤罪の存在は、実際上、死刑制度の最大の問題点です。これは、我々法曹が、実践的に克服するべき課題です。制度的には、無実の者を見つけ出すことが、刑事手続きの最大の目的です。主体的にも、法曹は、冤罪を防ぐために、最大限の努力を続けなければなりません。

誤判の可能性は、ゼロにはならないかもしれない。しかし誤判をなくすことは、我々法曹の存在根拠です。冤罪を根絶することは、死刑廃止よりも、困難な道程であることでしょう。しかし我々は安易な道を選ぶべきではない。殺人の被害者、処刑された死刑囚、無実の罪で死刑となった者、これらの者は、みな哀れです。我々は、ただ単に殺されなかったというだけの者です。なぜ死んだのが俺であって、お前ではないのだ、と問いかける「死者の眼」(エリ・ヴィーゼル「夜」)に射すくめられながら、我々は生き続けなければなりません。プロとして、命の限り、自分を賭した決断をし続けなければなりません。