2014.08.23

大塚 嘉一

民暴ニュース (初出埼玉県暴追センター通信№66(平成26年8月号))

1.私は、平成23年から25年にかけて、埼玉弁護士会民事介入暴力対策委員の委員長を務めました。民暴委員会とは、昭和63年に弁護士となって以来の付き合いです。

暴力団との「付き合い」も、同じくらいの歳月が過ぎました。「付き合い」と括弧書きにしたのは、彼らと実際に交際しているのではないからです。念のため。

弁護士は、一方で、刑事法廷では、暴力団組員の弁護人となることがあります。代用監獄あるいは拘置所において、彼らから、「先生、先生。」と、おべっかを使われます。他方、民暴事件の相手方となったときは、すごまれたり、秋田犬をけしかけられたりします。彼らが、いろいろな顔をもっていることが分かります。法曹三者すなわち弁護士、裁判官、検察官のうちで、暴力団に一番肉薄しているのは、弁護士ではないかと思っています。裁判官、検察官は、法廷や取調室での姿しか見ていないからです。

暴力団に苦しめられている多くの人を見てきました。そして、私が、今、確信しているのは、この社会から、暴力によって人生を曲げられたり、不利益を被ったりする人々を救済し、そのようなことがない社会を実現しなければならない。そのためには、暴力団はなくならなければならない、ということです。人間の社会から暴力はなくならない、と嘯く人がいます。暴力団がなくなれば、別の暴力が立ち現われるはずだと言う人がいます。そうなったら、そのときは、またその暴力による被害をなくすよう頑張ればいいと思うのです。

2.暴力団はなくなるでしょうか。それは、我々が、暴力団をどう見ているか、ということに帰着します。

誤解を恐れずに敢えて言えば、我々は誰もがその心の中に、弱きを助け強きを挫く任侠に対するあこがれのようなものを抱いているのではないでしょうか。

やくざの元祖とも言われるのが、芝居の「お若えの、お待ちなせえやし。」、「人は一代、名は末代の…。」の名台詞で有名な幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)です。江戸時代初期の実在の人物だということです。

当時、戦国時代が終わり、活躍の場をなくした旗本たちの暴れ者集団がありました。旗本奴(はたもとやっこ)と呼ばれていました。旗本奴の横暴に苦しめられていた町人たちが、同様なグループを作って対抗しました。彼らを町奴(まちやっこ)と呼びました。異様な風体をしてカブキ者と呼ばれていたそうです。彼、幡随院長兵衛はそのリーダーでした。芝居では、殺されると分かりながら、争いを収めるため、敵地に乗り込みます。「カッコいい」と思う、自分がいます。警察も司法制度もなく、人権や法治主義などという考えもなかった当時、自分たちを守るためには、対抗する暴力を備えるしかなかった、と理解することができます。

3.しかし現代のように法の支配の貫徹する社会においては、暴力に見舞われた場合の対処方法としては、正当防衛等の例外を除いて、自ら暴力を行使することは禁じられています。その代わり私たちの秩序は、警察、司法制度によって守られています。それによって秩序が維持されているのです。現代のような高度に分業化し複雑化した社会においては、正義感でさえも単純な形ではあり得ないのです。正義は、時代によって、様々な意匠をこらす、ということです。

ジラールは、暴力が社会に蔓延するのを防ぐために人類が見出した智恵として、①呪術で暴力を解消する、②仇討など対抗する暴力で暴力を封じる、③国家による法体系で国民を保護する、との段階があったと論じています(「暴力と聖なるもの」)。

我々現代人は、国家による法体系によって保護されているのです。もちろん警察、司法制度が、本当に主権者である国民のために機能しなければなりません。そのようにするのは、各関係者の責任でもあります。私は、日本という国は、たとえ完全ではないとしても、現場の一人ひとりが、そのような気持ちで、毎日、頑張っていると信じています。それが、日本が世界に誇る、魅力、長所だと思うのです。

それは関係者だけではありません。現代において、本当の意味で、真に任侠の心を抱く者は、「カブキ者」の中にではなく、普段から法を尊重し真面目に働き税金を納めて生活している普通の人々、毎日電車に揺られて職場に通う市民の中に、目立つことなく人知れず存在すると、私は信じています。

私は、そのような人を応援したい。

そのような人で社会が満たされれば、「カブキ者」はいなくなるはずです。

幡随院長兵衛の活躍に拍手するのは、芝居小屋の中だけのことにしておきたいものです。