2017.09.10

大塚 嘉一

私が死刑廃止論に反対である理由

1.空から小鳥が堕(お)ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある

2.「小鳥」とは、殺人の被害者でしょうか。死刑になった殺人者でしょうか。冤罪で死刑となった無実の人でしょうか。それとも現場で射殺された犯罪者でしょうか。

3.日本弁護士連合会は、平成28年10月7日、死刑廃止を主張する声明を出しました。それに対して、今般(平成29年8月26日)、犯罪被害者弁護団の弁護士たちが異議をとなえたことが報道されました。

4.被害者の死(①)も、殺人者の死刑による死(②)も、冤罪被害者の死刑による死(③)も、犯罪者の現場射殺による死(④)も、同じく死には違いがありません。しかし、社会的な意味合いは異なります。

死刑を廃止すれば、②と③は無くなります。しかし、①と④を残しておいて、文明国といえるのか。一番可愛そうなのは、なんの落ち度もない①なのではないか。死刑はあっても③を無くすことが法曹の仕事なのに、死刑廃止を主張するというのは、汗をかかずに、楽しているのではないか。人を殺したものは死刑になり殺される、というメッセージは、社会のあらゆる場面に見られる等価関係(互酬制)を人々に教え示すシンボルとして、残す必要があるのではないか。死刑を廃止しても、権力はなくならない、むしろこれを隠蔽するだけなのではないか。

「野」とは、我々です。我々は、どのような制度、社会を作り、運営しなければならないのか。田村隆一の詩(「幻を見る人」昭和31年)を思い浮かべながら、いろいろなことを考えます。