2010.07.30

大塚 嘉一

韓国で破産物件の調査

1.今から11年前の平成11年7月5日火曜日の12時半、成田空港、今にも飛び立とうとするソウル行きの飛行機の中に私はいました。

私は、浦和地裁(現さいたま地裁)から、法人の破産管財事件を依頼されていました。その破産会社は、韓国に支店をもっています。破産申立ての直前まで営業をしていたようなので、ここを調査しないわけにはいきません。破産会社の資産を調査するのは、管財人の重要な職務です。裁判所の許可を得て、出発です。

2.当時、韓国では、平成9年(1991年)の通貨危機の影響もあり、労働争議が激しく、労働者から厳しく糾弾される会社経営陣らの画像がテレビのニュースなどに映されることがしばしばありました。

裁判所では、裁判官、書記官が、「大塚先生、生きて帰ってくるかなあ。」と、私の韓国行きを心配してくれていたそうです。後から、当の書記官からお聞きしました。

現地の方の協力も得て、調査は無事に済みました。

仕事のあと、観光客のいないお店で食べた大衆料理の美味しいこと。

サムスンなどに代表されるその後の韓国の躍進は、ご承知のとおりです。半面、国民の間で二極化が進んでもいるようです。

難局に際してどう行動するべきか、日本人は、隣国から学ぶべき点がありそうです。

3.帰国後、裁判所に報告に行きました。

裁判官も、今回の調査の結果を喜んでくれました。

さて、裁判所は、私が無事帰国したことと、事件の処理ができることと、どっちを以ってよかったと思っていたのでしょうか。