2017.05.24

大塚 嘉一

憲法学者木村草太教授への公開質問状

平成29(2017)年5月2日

木村草太先生

公開質問状

大塚嘉一

第1 質問の要旨

1.先生の真意は、参加の意思のない保護者はPTA活動をする必要はない、ということであって、参加の意思を持つ者を含め、保護者一般が、一切PTA活動をする必要はない、というものではないということで、よろしいでしょうか。

2.しかし、そうだとしても、世間からは、先生の言動が、PTAそのものを否定し、PTA活動を非難するもののように受け止められているのではないでしょうか。

3.PTAの活動は、民主主義の実現に密接に関わるのであって、「企業活動を通じた社会貢献」や「家庭でじっくりと子どもと過ごす時間」と同等、あるいはそれ以上に重要なのではないでしょうか。

4.そうだとすると、PTAの活動は、これを積極的に実践し支援するべきものであって、仮に困難があっても、これを克服してでもやるべきものなのではないでしょうか。

5.PTAそのものと、PTAを運営する人とは別のものであって、PTA関係者の言動により、現に心身を傷つけられた人がいる場合には、その人へのケアーは必要であるが、そのことによって、PTAそのものを否定し、その活動を非難することは的はずれなのではないでしょうか。

6.仮に、PTAを否定して、新たな組織を作ったとして、その組織が必ずPTAよりも民主的になるという保障はあるのでしょうか。そうでないなら、PTAを改革していこうという方向性も間違ってはいない、むしろ望ましいのではないでしょうか。

第2 質問の理由

1.突然このような質問を差し上げる非礼をお許しください。

先生のPTAについてのご意見や対談等を拝読、拝見しております。蒙を啓かれること数知れず、感謝申し上げます。私自身、二年前に、何の知識、経験もないままPTA活動に飛び込み、疑問を感じたり、理不尽な事々に憤りを覚えたり、嫌な経験をしたりしました。しかし、PTA活動を実践し、考えを深めるうちに、PTAの重要性を再認識し、応援したい気持ちでいっぱいになりました。先生ご自身も、PTAそのものを否定するものではない、とお聞きし、私とそれほど距離はないのかな、と思ったりもします。それでもなお、PTA活動をしてきた者として、いくつか違和感が残ることも事実です。

そこで、この機会に、少しでも架橋できるのであれば、との思いから、質問させていただきます。

日本の子供たちを笑顔にするにはどうしたらよいか、を基準にすれば、解決策は見えてくると信じています。

2.PTAという名称の本家のアメリカでは、現在、PTA加入者は、約3割ほどに低下しているそうです。日本も、それくらいでいい、そうなった方がいい、と考えているのであれば、大間違いだと言いたい。なぜなら、そのアメリカでは、国民の分断が問題になっているからです。ドナルド・トランプという大統領になってはいけない人を大統領にしなければならないほど、溝は深い。

古く、アレクシス・ド・トクヴィルが、「アメリカにおける民主主義」を著して以来、数々の結社が、アメリカの民主主義の強みであることが認識されています。

ロバート・パットナムは、「孤独なボウリング」(Robert D. Putnam Bowling Alone 2000)において、人々の結びつきが弱まっていることを憂い、PTAの互酬的な活動を評価しています。

最近では、アメリカが、階級によって分断されていることに警鐘を鳴らし、国民の再統合を実現する必要性を強調するチャールズ・マレーの「階級『分断』社会アメリカ」(Charles Murray Caming Apart 2012)が、発表されると同時にベストセラーとなりました。同書には、PTAなどのボラアンティア団体が、子供たちのみならず保護者自身が成長する機会となり、地域コミュニティーを強化し、民主主義の実現に資する様子が活写されています。

シーダ・スコッチポルは、「失われた民主主義」(Sheda Skocpol Diminished Democracy 2003)において、アメリカの民主主義の歴史を丁寧に叙述し、PTAが、人種差別や性差別に対して戦ってきたことを明らかにしています。そして、強固な結社の必要性を訴えます。

アメリカの多くの学者、識者が、国民の再統合を果たすため、民主主義を再活性化するため、各種の任意団体の役割の重要性を訴えています。PTAは、その主要な一環であると、みなされています。私は、日本でも、まったく同じだと思います。

先生は、どのようにお考えでしょうか

3.PTAは強制加入団体ではありません。加入するもしないも自由です。しかし、それを超えて、全ての人が、PTA活動をする必要もないし、会費を払うこともない、と主張する人がいます。タレントの菊池桃子さんと朝日新聞がタイアップして、PTA不要論を展開していますが、先生の言動の影響ではないでしょうか。

幸い、日本のPTA加入率は、ほぼ100パーセントです。しかし、民主的とは言えない実態のPTAもあるやに聞き及んでおります。一部の人の言動により心身を傷つけられた方々もいるでしょう。その方々を、ケアーすることは大事なことです。しかし、本当の意味で救済するためには、より活発な、より開放されたPTAを目指すという方向以外にはないのではないでしょうか。戦うべき相手は、我々日本人の宿痾たる同調圧力であり、それは組織を言葉の真の意味で民主化すること以外に解決策はないからです。

考えやバックグラウンドを異にする保護者たちが、子供たちのため、という一点でつながり、相手を否定するのではなく、逃げるのではなく、より良い解決を求めて議論すること、活動することは、間違いなく、自分たちがこの社会を支えているのだという自覚を深めるはずです。

PTAは、将来の日本を作り上げるための重要な一歩です。国政に参加する方法は、投票や納税だけではない。子供たちを、立派な社会人に育て上げることも、重要な国政参加の方法であると、私は考えます。

PTAに批判的な人は、役を押し付けられた、というようなことを盛んに言います。活動を強制されたとまくしたてるのですが、暴行でも加えられたのでしょうか。危害を加えると脅されでもしたのでしょうか。自分の子供たちのための活動を、強制や義務と捉えることが、そもそも間違っています。私は、PTA活動は、保護者の権利だと考えます。

人間関係の煩わしさを理由にPTAを貶めているのでは、あまりにも大局観がない。

どの組織にもありがちな人間関係の煩わしさを理由にしているようでは、本当の危機が来た時に、子供たちを守るために、戦うこともできないのではないでしょうか。いざと言うときに武器をもつ気概はあるのでしょうか。

幸福は、困難を克服してこそ、実感できるのではないでしょうか。煩わしさから逃げ回っていて、何か得るものがあるのでしょうか。

PTAに否定的な人にこそ、その改革に加わって欲しい。

4.PTAの民主主義における重要な役割に鑑みるならば、これを積極的に育てていこうという発想にこそなれ、これを否定、非難することにはならないのはないでしょうか。

PTAを否定し、その活動を非難することは、保護者を分断させ、困惑させ、子供たちに混乱をもたらし、ひいては日本の将来を危うくさせていることになります。

PTAという言葉は、戦後、GHQが日本に持ち込んだものかも知れません。しかし、子の幸せを願う保護者の活動の実態は、戦前にもあったし、さらには、江戸時代にまでさかのぼるのではないかと、私は思います。明治維新に当たり、国民に平等に教育を施すために小学校を作ろうとした政府に協力したのも、保護者です。それ以前に、子供たちを寺子屋に通わせたのも、保護者です。

子供たちのために、PTAができることについて、お考えがおありであれば、我々にお示しください。

子の幸せを願う親の気持ちは人類に普遍の原理です。PTAは、その気持ちを形に表したものと考えます。先生の学識、経験そして洞察力が、日本の子供たちの将来の幸せに結びつき、花を咲かせることを信じてやみません。